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rap: Shing02
beat: Vector Omega
keys: sauce81
beatbox: Reatmo
sax: Tetsu Nishiuchi / 西内徹
flute: Maki Saito / 斉藤真紀
scratch: Spin Master A-1
dub efx: Kuranaka aka 1945
chorus: Aoi / 葵花
chant & bells: Myokei / 明慧
calligraphy: Futou Tomioka / 富岡不撓
recorded at TTE, Osaka
and Red Bull Studios, Tokyo
special thanks to:
Satoru Takahashi, Keiko Kurachi, Rui Mizuki, DJ $HIN, Ryu Kawashima, Ryota Hayashida,
Norihiro Higo, Antonio Kamiya, Yohei Muraoka, Shinichiro Banshita, Jason Boschetti,
Hawai'i State Library, NHK, McDSP
日本国憲法
もくじ
[序章]
[植民地主義]
[明治維新~大日本帝国憲法]
[第一次世界~大戦太平洋戦争]
[日本国憲法]
[現代]
[序章]
文明の衝突とは唐突に起きるのか、
それとも丁寧に敷かれたレールなのか
これは世界の荒波で生き存える
極東の島国のお話である
憲法の前にまず 人間がありき
歴史から紐解き未来を垣間見た、その時
浮かび上がる、国家の最高法規
人々を平等に尊重するために
記された約束、それと同時に
冒した過ちを二度と繰り返さぬように
法が従わねば、違憲であり無効に
支配者の歴史、絆か鎖かを問うに
民主主義は未だ実験的
その証拠に表紙の下は、筋書きと演劇
資源と資産の四次元パズル
膨張すれば弾けるバブル
真実を叫べばバルス
「生命、自由及び、幸福追求の権利」
日本国憲法第13条の一節
原文の「Life, Liberty, the persuit of Happiness」
アメリカの独立宣言を引用したが、一説によれば
トーマス・ジェファーソンはイギリスの哲学者ジョン・ロックが
「国民の生命、自由、及び財産」と
政府が守るべきものとしたフレーズを拝借
同じくロックの「幸福追求」の概念と組み合わせ
「より詩的な」文章の書き換えに成功
この一節のサンプリング紆余曲折を追うだけでも
時空の航海へご招待
[植民地主義]
憲法の歴史を辿れば、何世紀にも渡る民衆と君主制の闘争の末、
1215年 イングランド王国、キング・ジョンが制定したマグナ・カルタ
自ら、国王の権限を制限した憲章は画期的
「神に与えられた、不可侵の基本的人権」が此処に
それまでは不当な税や差別、投獄や拷問に
抵抗する術としてデモ以外はクーデター、
または武装蜂起が有効だったが
血を流し、革命を繰り返し、やがて民衆は組織することを覚えた
民法と法廷が産まれ、世界的に憲法制定の動き、勝ち取った自由だ
17世紀の終わり、イングランド銀行
貴族の財産を運用する商人が台頭、格差は保証された
富裕層は裏で糸を操る、舞台には政治家兼役者が立つ
金融と保険、大航海時代、植民地支配の始まり
300年間、1000万人の奴隷貿易、ポルトガル商人
王国は中南米インディオの殺戮を承認
イギリスはアメリカに13の植民地、暴力と策略で先住民を殺し
そのコロニーはやがて「代表なくして課税なし」と立ち上がり王国との戦に勝ち
1776年 独立宣言、88年 合衆国憲法に印
同時に火縄くすぶるフランス革命と人権宣言、再び人民の主権
だが引き続き黒人の人権は無視、奴隷は南北戦争まで80年続き
1960年代の公民権運動まで、不平等は更に100年間蔓延り
アイゼンハワーが鳴らした警鐘、軍産複合体、現在は刑務所産業
220万人を収容、現代のクンタ・キンテ、己のルーツを探れ
さて19世紀に入り、マニフェスト・デスティニー
使命に基づいた領土の拡大と搾取
アメリカは北米大陸制圧、艦隊は海外拠点を熱心に略奪
中南米の後は太平洋に前進
アラスカ、ミッドウェー、ハワイ、グアムにフィリピン
英国は日が沈まぬ帝国、ヨーロッパ諸国も植民地を広げるべく
1840年 イギリスはアヘン戦争で清に勝ち、江戸幕府にショックを与える
42年南京条約、不平等条約の先駆け
11年後にとうとう米国のペリー黒船、横須賀に来航
250年続いた江戸の「泰平の眠りを覚ます上喜撰、たつた四杯で夜も眠れず」
真夏の夜の出来事
一年の猶予の後、日米和親条約
鎖国がようやく解けたが幕府と共に、武家社会も崩れ始め、
武士は彷徨い「尊王攘夷」の動きに繋がった
1856年 アロー戦争、英仏は北京条約で清を支配
日本も脅かされ、アメリカのハリスは保護を申し出る
ここで幕府が折れる
58年 日米修好通商条約
続けて日蘭・露・英・仏と結び、物価が高騰
安政の大獄後、大老井伊直弼、雪の桜田門にて散る
63年 薩英戦争、64年 下関戦争、圧倒された薩長
犬猿の中を坂本龍馬が取り持ち、同盟
前年には孝明天皇が外国の圧力で勅許を出すが、時既に遅し
商人は倒幕へ根回し、龍馬は寺田屋で闇討ち
維新十傑は残った、役者が揃った、明治の幕開けだ
[明治維新~大日本帝国憲法]
大政奉還、王政復古、1868年 明治政府が出航
旧幕府軍を戊辰戦争で討伐、一段落したが
新政府の急務は不平等の撤廃、日本の近代化
それは「富国強兵」の合言葉
73年 徴兵令、地租改正、より資源を求めて北海道を開拓へ
「お雇い外国人」を何千人も受け入れ
政治、金融、建築、医学、芸術まで
列強と呼ばれた欧米からすれば、法典の不在は治外法権の正当化
幕府はすぐに編纂を希望、だが明治の六法は全て外国人が起草
ナポレオンをモデルにフランスのボアソナードは
まず拷問を廃止、刑法・治罪法、民法
ドイツのテッヒョーは民事訴訟法
そして最も大事なのはドイツの法学者
ヘルマン・ロエスレルとアルベルト・モッセ
商法に加え、大日本帝国憲法の草稿
井上毅の草案を指導した、つまり
明治の法律と憲法は、西洋にならって作られただけでなく、
西洋人が起草したものを、日本人が翻訳する工程で形になった
それがこの国の青写真だ
自由民権運動が高まり、明治天皇が立憲政治を宣言
政府内で争い大隈重信を追放
これで天皇の意志に依る君主主権でGO
竹橋事件、武装叛乱「軍人勅諭」皇道的武士道へ突き進む
これがいずれジュネーブ条約等、
国際法を無視した「戦陣訓」に見受けられるように
「日本の軍人は、死ぬまで戦え」そして「捕虜は恥である」と教える布石となる
1879 琉球を強制併合、沖縄との軋轢の始まり
85年、イギリス議会をお手本に
薩長中心の初代内閣総理に伊藤博文
1890 明治23年、大日本帝国憲法施行
ドイツのプロイセン王国首相、ビスマルクに感銘を受けた伊藤
古来からの天皇制を軸とした国体実現のため
「万世一系」「神聖であり侵すべからず」とした
これも立派な詩的プロパガンダ
国民の権利は与えられた恩恵だ
そして第11条「天皇ハ軍ヲ統帥ス」
陸軍、海軍の最高指揮者
統帥権が明文化されたが故
権力の濫用に至る所以、前途多難な行方
1893年 ハワイのリリウオカラニ女王の政権をアメリカ軍部が転覆
南アフリカでボーア戦争、加速するアフリカ分割、20年間続く
1894年 朝鮮半島をめぐり日清戦争、日本の勝利
下関条約で半島が独立、乙未戦争の結果、台湾を併合
欧州発、吹き出す黄禍論
露独仏の三国干渉、遼東半島を返還
だが賠償で経済が飛躍、更なる軍拡、六六艦隊計画
帝国主義、武士が戦艦を操り
絵空事だった大陸に進出し
日英同盟で勢いづいた日本は
1904年 再び大陸の権益を巡り
日露戦争勃発、6万人の戦死者を出しながら短期決戦で打ち勝つ
ルーズベルトの仲介でポーツマス条約
日本の領土の三倍の満州を掌握
戦局好転によりイギリスから巨額外貨調達
つまり、この時代は
経済なしくて戦争は成功せず
そして戦争なくして経済は成し得ず
[第一次世界大戦~太平洋戦争]
1912年 辛亥革命
清の時代が終わり、中華民国樹立
1913 アメリカで財閥が結託、連邦銀行カルテル
国家の台本を書いてる、私有の中央銀行制度
翌年は欧州で第一次世界大戦、五年で900万人の兵が犠牲
米国は融資を英仏部隊へ、参戦しアメリカドル国際舞台で躍進
大日本帝国は連合国に加担、
ヴェルサイユ条約でドイツ権益を譲り受け
海上封鎖され数十万人餓死したドイツ
経済が完全に崩壊、ヒトラーの時代到来
1923年 関東大震災以降
日本経済は一気に下降
米国の排日移民法、大正天皇崩御
からの金融と昭和恐慌
1929 アメリカ証券暴落、ドミノ倒しの世界大恐慌
植民地を持つ国はブロック経済で守り抜くが
資源の無い日本は貿易を失い
絶望的な不況、危うい兆候
1930 ロンドン軍縮条約の締結をめぐり
犬養毅らの野党が「統帥権干犯」と騒ぎ立て
政府と軍部に溝、二年後の五・一五、犬養首相暗殺
1931年 関東軍の自作自演、満州事変
翌年に満州国建国
ラストエンペラー・愛新覚羅溥儀
傀儡政権
1936年 二・二六事件 雪の朝
昭和維新を訴える青年将校、
要人数名殺害、クーデター未遂
天皇に逆賊と見なされ鎮圧、首謀者と思想犯を処刑
逆に軍の政治介入が強まる結果に
1937 蒋介石との日中戦争
近衛文麿首相、国家総動員法
大東亜共栄圏の構想、解放戦争を提唱
1940 日本は欧州を征圧していたナチスドイツと軍事同盟
アメリカから経済制裁、狭まるABCD包囲網
資源を確保すべく、フランス領インドシナに侵攻
すると石油と鉄の七割を頼っていたアメリカは
日本へ輸出を禁止し
41年 中立法から一転、レンドリース法により連合軍側を支援
英国がドイツを破る鍵となる
11月26日 米国はハルノートを通達
日本の三国同盟の破棄、満州撤退を命じた
草案に関わった財務省のハリー・デクスター・ホワイト
彼はソ連のスパイだった、通称スノウ作戦
大日本帝国にとって無理難題な提案
最後通牒と捉える、挑発は双方の開戦派にとって好都合
12月7日 東条英機首相
真珠湾にてアメリカ海軍を攻撃
太平洋戦争の始まり
日本海軍は怒涛の勢いで
マニラ、シンガポール、ジャワ島を占拠
マッカーサーは豪州まで逃げる、しかし
42年6月 ミッドウェー海戦で戦局は一変
物資に乏しい日本は、長期戦で勝てる見込みゼロ
なす術もなく、硫黄島で敗北
マリアナ諸島で負けてから
日本の本土空爆が可能に
この間、連合国軍は日本統治の会談を重ねる
45年2月 クリミア半島のヤルタ会談において
ルーズベルトとチャーチルとの密約
スターリンは日本との中立条約を破る参戦を決め、
満州と北方領土の権益も確保
45年3月10日 B29、東京大空襲
10万人の死者、焼夷弾の民間都市絨毯爆撃
計100回以上経験する
5月にドイツ降伏
6月 沖縄戦敗北、19万人の犠牲
本土の大空襲も続き日本の敗戦は濃厚
アメリカが莫大な国費をかけたマンハッタン・プロジェクト
7月16日 人類初の原爆実験トリニティがニューメキシコ州の砂漠で成功
科学リーダーのオッペンハイマーは「バガヴァダ・ギータ」を引用
「我は死になり、世界の破壊者なり」
7月26日 大日本帝国に無条件降伏を求めるポツダム宣言
鈴木貫太郎首相は黙殺、国体護持に固持
アメリカ的には案の定、ロシアに降伏仲介を打診中もスルー
8月6日、広島原爆投下
8日にロシアが参戦、9日に長崎投下
いよいよ本土決戦を避けるため
昭和天皇の「聖断」
8月15日正午 ラジオから
玉音盤アナログ放送
日本は二百万の兵、百万の民間、計三百万人以上の犠牲者を出し
更にその何倍もの命を奪った
日本軍は敵軍のみならず、自軍の人権を軽視
戦局が悪化してから無茶な作戦を繰り返し
投降が認められなければ、自害か玉砕とし
戦死した二百万の内、大多数が戦地で餓死か病死
[日本国憲法]
8月15日 トルーマンはマッカーサー元帥を
「SCAP=連合国最高司令官」に任命
六年間のGHQによる占領統治が開始
マッカーサーは昭和天皇と面談し
10月 憲法改正を指令
幣原喜重郎首相、松本烝治大臣と指揮
以降、様々な改正案を紹介する各紙
2月1日 毎日新聞は政府案をスクープ
マッカーサーは保守的な内容と失望
民政局長、ホイットニー准将の進言により
草案作成を命令
極東委員会がGHQの上部機関となる、
2月26日がタイムリミットだった
幣原首相と1月末会談した翌日
「天皇を起訴すれば混乱が生じ、100万の米兵が必要になる」
とアイゼンハワーを牽制
「象徴天皇と戦争放棄」の一対を掲げた「マッカーサー・ノート」
体裁はあくまでも日本側が作成とする極秘任務
トップに就いたケーディス大佐は弁護士でもあり
彼は「自衛権を放棄する」表現を「非現実」として削除
「密室の9日間」で民生局25人、92条を英文で完成
この時、アメリカの独立宣言、世界各国憲法のみならず、
日本の民間草案も参考にされた
言い換えれば、民定憲法のメガミックス
2月13日、GHQは日本政府の正式案を鼻から拒否
マッカーサー草案を提示、圧力をかける
迫られた日本は閣議で受け入れを決定
あと二週間で修正と翻訳の「日本化」を担当
内閣法制局 佐藤達夫
人権条項、男女平等を訴えたベアテ・シロタ・ゴードンも通訳として活躍
倫理観を含め、翻訳の難航
勘違いの座礁を乗り越えて仕上げた快挙
3月6日「憲法改正草案要綱」決定
新聞で内容を初めて知った国民は衝撃を受けた
口語と平仮名で成文化された後、
最後の帝国議会において、最終審議
小委員会は一ヶ月で13回開催
9条に「前項の目的を達するため」と挿入した「芦田修正」は
自衛戦力を合憲とする根拠になった
極東委員会は、それを見据えた上で
閣僚は「文民」でなければいけない
「シビリアン・コントロール」を盛り込む
結果として新憲法は一語一句、二カ国語で文法的、法学的に解体され、
国際的に厳しく審議され、その上でアメリカが認めさせたのだった
こうして、1947年5月3日に日本国憲法施行に至る
[現代]
言論の自由、原爆報道にプレスコード
軍部の言いなり、翼賛体制を後押し
した大手新聞は、手の平返し
検閲に協力、自主規制は根強く残っている
東京裁判で戦犯を裁き1000人処刑
巣鴨プリズン 冷戦構造
朝鮮戦争以降、9条はなし崩し
警察予備隊、保安隊、自衛隊
ご存知、日本の歴史観が問われている
2014年 安倍政権は閣議決定で
集団的自衛権について
「密接な関係にある国への攻撃によって
日本国民の生命、自由及び幸福追求の権利が
根底から覆される明白な危険」があれば
武力行使への道も開けると示した
冒頭でも触れたが、
引用されている第13条のくだりは
「国が侵害すべきではない自由権」なのであって、
「他国の脅威から守るべき権利」ではない
憲法は解釈で軍を動かすためにあらず
最後に、第97 条「人類の多年にわたる自由獲得の努力」とは、
人権が確立されるまでの、全世界の血と汗と涙の結晶を指す
日本国憲法は占領下の特殊な事情で生まれたとは言え、
逆に白紙からだったからこそ成し得た、
先人の多大な犠牲の上に成り立った賜物だ
後付けの理由より、俯瞰的な事実
価値観リセット、OSをアップデート
加害者と被害者の関係では到底見えない
利害の害ばかり、誰が漁夫の利
第三者の図式、利権には権利で立ち向かい
対峙する現実、実現させる意識
条件反射の立ち位置、両極の天秤
表面的議論、中立許されぬ不憫
本質的な問いかけ、おざなりに置き去り
経済ばかり、地政学、防衛はひた隠し、
表向きに便利な機密扱いに
情報の袋小路、触れぬ触れさせぬ
民意を分断、有事の際に家宅捜査
私達は、印象操作による集団心理より
普遍的正義のため
領土や人種を凌駕する崇高な理想のために
戦う、何世紀もの、幾多の戦で命を賭け、落とし
生き抜いた遺伝子
燃え付きた命より、更に明るく
燃えることが 後世のため、時間の使い道
憂い無ければ、備え無しこの国は。
憂い無ければ、備え無しこの国は。
右や左より、前に進むのみ
時代の波は常、変わらぬ方が愚かなり
人との違いばかりに目を向けずに、
自分が違いを生む人になれるように
本物の喜怒哀楽
魂が震える喜び
腸から怒り狂い
人知れず涙し
懸命に楽しもう
この与えられた日々を
Fight the Power
Life, Liberty and Pursuit of Knowledge for All
Pray for Wisdom, Live for Peace.
Peace
(権力に抗い、生命、自由と知識への探求を全ての人に
知恵のために祈り、平和のために生きよう。Peace)